
気候変動は世界中の農作物に多大な影響を与えている。農地が高温や乾燥にさらされ、耕作地域を変えたり、別の品種に切り替えたりする対策は日本国内でも、あらゆる場所、あらゆる作物で講じられている。また、強い耐性をもつ新品種の開発も日夜続けられている。
ただ、不作による野菜の高騰が毎年のように発生していることからも分かる通り、そうした取り組みにも限界がある。我々は安心・安全な日本の食を将来に渡って持続することは可能なのだろうか。その道筋の1つとなるかもしれないのが、米Square Rootsが手がけるモジュール型の屋内農業だ。

米Square Rootsのモジュール型屋内農場
イーロン・マスク氏の弟で自身も実業家のキンバル・マスク氏と、AIの博士号を持つトビアス・ペグス氏が2016年に共同で設立したSquare Rootsのモジュラーシステムは、ユニークなコンセプトで作物を生産し、農業のあり方を変える可能性を秘めている。これまで米国の5つの州で導入実績があり、2025年には初のアジア拠点として日本法人のSquare Roots Japanを立ち上げた。
同社は2026年初頭にも、東京の新木場駅近くにあるJR京葉線高架下倉庫の一部をリノベーションした、最先端のモジュール型屋内農場「Agri Tech Lab Tokyo」を開設する予定。都市インフラを活用した「新たな地産地消」モデルの構築を目指すとともに、農業経験の少ない人材や若手も活躍ができるよう栽培ナレッジのデータ構築とAIツールを活用したシステム化を進める。

Square Roots USA 共同創業者 /CEO トビアス・ペグス氏(左)、Square Roots Japan代表取締役CEOの松本舞氏(右)、Square Roots Japan Founder・CGMOの芝幸太郎氏(中央)
Square Rootsの「モジュラーシステム」は何が凄いのか。他の屋内農業と比べた優位性はどこにあり、その技術が日本や世界の農業の未来に何をもたらすのか。米Square Roots共同創業者でCEOを務めるトビアス・ペグス氏をはじめとするキーパーソンらに話を聞いた。
100種類以上の気候条件を同時に再現できる「モジュラーシステム」
Square Rootsの屋内農業技術において特徴的なのは、モジュール化されたごく小さな平方メートル単位で作物を栽培する「モジュラーシステム」と呼ばれる仕組みだ。建物全体で1つの大きな農場とするのではなく、その中に配置されたモジュール1つ1つを独立した農場と捉えることができる。
モジュール単位で温度・湿度・光量・栄養バランスなどを変えられるため、それらを調整しながら比較的短期間で繰り返し栽培し、データを収集・分析しながら、作物ごとに最適な“栽培レシピ”を開発できる。同社によれば、モジュールごとに制御することで100種類以上の異なる気候条件を並行して同時に再現もできるという。それらの実証データを元にAIで環境管理を自動化することで、人の手間を減らしながら高品質な作物が安定的、効率的に得られるようになるわけだ。

モジュール型の屋内農場で生産された作物
また一般的に作物の「地産地消」という言葉は、広大な土地のある農業地帯などで用いられるイメージがあるが、Square Rootsのモジュラーシステムと物流インフラを密につなぐことで、都市部にいながら新鮮な作物を生産して収穫後、短時間でレストランや小売、医療・福祉施設などに鮮度高く、供給できるようになると説明する。
水や肥料といった資源を最小限に抑えながら栽培できることもメリットの1つ。現在はビル・ゲイツ財団とのパートナーシップのもと、わずかな光で栽培できるいわば「暗闇トマト」などの研究もモジュラーを用いて進めている。このような取り組みにより屋内農場の一般的な課題であるエネルギーコストを将来的には大幅に削減できる可能性もあるという。
さらに興味深いのは、基本的には農薬を使わない栽培が可能になる点だ。屋内のため、そもそも病害虫が発生しにくい環境であり、万一の事態には、通称「砂漠モード」プログラムを発動することで害虫や病気の拡大を食い止めることができるという。各モジュールが独立しているため、「極端な話、そこだけ一時的に砂漠のような環境にして病害虫を死滅させ、清掃後はすぐにそのモジュールを通常モードに設定しなおし、再利用することもできる」(トビアス氏)という。

Square Roots USA 共同創業者 /CEOのトビアス・ペグス氏
米国で10年前に始まった「屋内農業」への挑戦
Square Rootsが米国で立ち上がったおよそ10年前の当時、独自の屋内農業技術を確立し事業化するにあたり、課題は少なくなかったとトビアス氏は話す。まずは「どのようにして作物をつくり、どのようなものがおいしいと言えるのか」の答えを見出す必要があり、創業の地であるニューヨークの地元農家やレストランのシェフらに意見を聞くなど地道な活動から始めたのだという。
人手の問題も立ちはだかった。屋内農業を事業として拡大させるには多くの農業従事者が必要になる。そこで「農業経験はないが、食に興味のある若い人たちを対象としたトレーニングプログラムを開発した」(トビアス氏)。独自のITツールにより、短期間で必要な知識を身に付けられるようにし、パートナーとして迎え入れる環境を整えたという。
生産体制を築いていく傍ら、できあがった作物の流通経路も検討する必要があった。収穫した作物をレストランなどに届けるには、生産拠点から米国各地へ輸送する手段が欠かせない。そこで「食品流通会社のゴードン・フード・サービスなどとの戦略的パートナーシップを締結した」(トビアス氏)ことで、徐々に導入実績を広げることに成功した。
創業から約10年が経ち、次なるフェーズはグローバルに展開すること。世界各国でパートナー探しの旅を始め、そのなかで出会ったのが食への想いが共鳴したSquare Roots Japanの面々や日本各地の優れた農業・食材だったという。トビアス氏はそれらを通じて「米国で作り上げたSquare Rootsのモデルを、そのまま他国で単純に展開できるものではないと気付いた」と話す。
「どの国にも異なるダイナミクス、チャレンジ、フードカルチャーがあり、それら全てに向き合う必要がある。その土地の食文化を本当に深く理解しているローカルパートナーを見つけることが、グローバル展開を成功させる鍵になる」(トビアス氏)。
日本が抱える「2つの農業課題」
日本の食文化の豊かさに心惹かれたことに加え、日本およびその農業システムが抱える課題の深刻さも、世界進出を考えるにあたって最初に日本を選んだ理由だったとトビアス氏は語る。
1つ目は、人口分布の偏りだ。米国の農家の平均年齢はおよそ58歳だが、日本は約68歳で一段と高齢化が進んでいる。同氏は「人口減少に伴って就農する若者も減っている。このままでは生産量が右肩下がりになり、元から低い食料自給率がさらに低下し、食の安全保障における致命的な問題になりかねない」と考えた。
2つ目は、気候変動による影響。2025年、日本の夏は平年と比べ気温が3℃高く、「作物の品質レベルに打撃を与え、収穫量も減らしてしまう」(トビアス氏)と危機感を見せる。それと同時に、農業従事者にとって猛暑の屋外での農作業自体が過酷なものとなっており、高齢化が進んでいる昨今の状況を踏まえると、離農する時期が早まり生産量の低下が加速する可能性もある。
「Square Rootsがこれらすべての問題を解決できるとはもちろん言えないが、問題解決の一端を担うことができるのではないか」と考え、アジア地域のなかでもいち早く日本市場に目を向けたわけだ。
20代の松本氏が日本のCEOに抜擢された理由とは?
そうして立ち上がった日本法人Square Roots Japanには、様々な分野から食と農業に深い関心や造詣をもつ人材が集まった。
日本法人のファウンダーである芝幸太郎氏は、「食べることが好きで、日頃から生産者の方から作り手側の課題を聞いていた。消費者の立ち位置から常々想いを巡らせていたが、彼ら(Square Roots)との出会いもあり、もしかしたらこの状況を変えられるかもしれないと考え、私の周りにいる熱意のある人たちに声をかけた」と振り返る。

Square Roots Japanファウンダーの芝幸太郎氏
そして、Square Roots Japanの代表取締役CEOには20代の松本舞氏が抜擢された。行政で安全保障分野に携わり、その後ネット動画などで料理や食材に関わる情報を発信してきた松本氏は、「ずっと街中育ちだったが、ある時どうやってこの美味しい食物が作られているのか知りたくなり、産地を訪ねるようになった。さらにSquare Rootsの都市型屋内農業との出会いで大きな衝撃を受けた」ことがきっかけとなり参画することを決めたという。
「Square Rootsのモジュール化された農場は、非常にシンプルなもの。そこにデータやAI、ソフトウェアといった独自の知見を活用することで、新鮮な、栄養価の高い作物を安定的に得られ、今後の食料問題の解決にもつながる」という仕組みや可能性の大きさに惹きつけられたと松本氏。また、企業が研究開発に利用したり、アイデア次第で新たな事業創出につなげたりするなど、広がりにも期待できることがモジュール型の利点だと説明する。
さらに、若者にも農業へ目を向けてもらうために、同世代ならではの発想や自身の発信力も活かしたいと考えている。その新しい視点の一例として、「ファーマーとして働くみなさんに着ていただく専用ユニフォームを『A-POC ABLE ISSEY MIYAKE』(イッセイミヤケ)と共創して開発している。普段何を着て働くのかは若い人にとって関心の強いところ。機能性を高めるだけでなく、デザインにもこだわった」と話す。

Square Roots Japan代表取締役CEOの松本舞氏
他にも交通系企業や調理器具メーカーなどとの協業を進めており、日本が世界に誇るエンタメコンテンツとのコラボも検討中だ。異分野の垣根を越えた今までにない取り組みで、農業のイメージを変えていくことも自身のミッションだと松本氏は語る。「カフェやアパレルショップの店員のように、若い人なら一度は働いてみたいと思う職業の1つに農業がなる。そんな未来を目指したい」(松本氏)。
トビアス氏も、「(共同創業者の)キンバルが感動した日本の食のクオリティ、素晴らしい作物を育てている日本の農業に敬意を表している。変わりゆく環境下でこのレガシーを守り、継続して素晴らしい食物を育てていけるように若者はもちろんのこと、今まさに苦心されている農家の方々ともこれからコラボレーションをしていければ」と力を込めた。
次回は米Square Rootsのキンバル・マスク氏への独占インタビューをお届けする。