
(写真:Josiah / PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、一体どんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第2回は、2人を取り巻く家族関係について真山知幸氏が解説する。
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文献により異なる秀長の生まれ年
豊臣秀吉の弟である秀長は、どのような生い立ちなのか。
江戸時代末期に成立した『系図纂要』(けいずさんよう)の「号外十八」では「豊臣朝臣姓」の項に、豊臣家の家系図が記されている。それによると、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長は天文9(1540)年3月2日に生まれて「小一郎」と呼ばれていたようだ。
飯田忠彦『系図纂要』(国立公文書館デジタルアーカイブ、黄色枠は筆者によるもの)
「秀長 天文九年三月二日生 小一郎」
ただし、『多聞院日記』によれば、秀長の享年は「五十一」とある。逆算すると、天文10(1541)年に生まれたことになり、『系図纂要』と一致しない。
秀長の生年は、天文9年か10年かのいずれかということになるが、秀長が重い病に伏せたときに、平癒を祈って祈祷状が出されたことがあった。天正18(1590)年10月のことである。